創業者である宮田慶三郎は、食に関して一つの哲学を持っていました。
「材料はけちってはいけない。良い材料を使った料理には、お客さんが必ず帰ってくる」これが、南国酒家の美味しさへの追求の原点です。
当時 司厨長の王耀権(ワン・ヨウケン)は、広東料理をベースに独自の様々な工夫を加えて『東洋料理』とも呼ぶべき、新しい中国料理の流れを創っていきました。
例えば今日、酢豚にパイナップルを入れることや、炒飯にたらば蟹とレタスを入れて作ったのも南国酒家が最初だと言われています。
そんな南国酒家に、新たな課題が生まれます。2店、3店と増えていくに従って、南国酒家独特の味をどう守って行くか、また進化させていくかが大きな課題となってきました。
2代目 原宿店の総司厨長 富塚 宏は、何よりもまず、料理の味の統一に力を注ぎ、現在の味の基盤を作ったのです。同時に、南国酒家の味を守るのは、結局「人」だという考えのもと厨房の人事育成にも力を注いていきました。現在でも、「五目あんかけやきそば」や「かにの玉子入りふかのひれ」はお客様が最もよく注文される昔からの定番料理です。
1961年 開業当初の渋谷店。
お客様が高級アメ車で乗りつける、南国酒家玄関前
1961年 開店当時の渋谷店の店内。
ジュークボックスで音楽を聞くのが流行
1965年 竣工したコープオリンピアと原宿店の入り口。当時は歩道橋がなく、原宿駅からよく見えた
1965年 斬新な内装の大ホールはフリーのお客様が利用
1965年 原宿店、大ホールの店内(現在の迎賓館、鳳凰の間)
そして2010年、創業50年の節目に若い会長・社長からなる新体制となり、創業以来の伝統と歴史は守りながら、絶えず進化し新しいことにチャレンジし続けています。
昨今では中国料理に使われる材料ばかりではなく、全国から探してきた新しい食材を使ったメニューなど、発想豊かな料理を絶えずお客様に提供する努力を惜しみません。高級食材といわれる「干しアワビ」や「伊勢海老」をもっと身近に、安価で提供できるよう、Sサイズの東北産干しあわびを “ふくあわび”として、東京の水産物の再評価・地産地消の推進を目的とし、伊豆七島の伊勢海老を「TOKYO伊勢海老」としてそれぞれブランド化し、普及する事業にも積極的に努めています。
現在南国酒家は、全国に27店舗(内、フランチャイズ7店舗)にまで成長しました。これからも南国酒家は、創業当時の哲学と信念はそのままに、絶えず新しいことにチャレンジし、成長し続けます。
会社名 | 株式会社 南国酒家 |
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設 立 | 昭和36年11月22日 |
資本金 | 20,000,000円 |
従業員数 | 正社員:約220名(男:180名・女:40名) パート社員:約450名 |
売上高 | 40億円 |
代表者 | 取締役会長 宮田 佳明 代表取締役社長 宮田 順次 |
事業内容 |
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中国料理店「南国酒家」は、昭和36年(1961年)11月、東京渋谷区桜丘に誕生しました。現在は路面店のほか、デパートやホテル、駅、空港などの商業施設へも積極的に出店。出店地域や出店場所によってお客様の層が変わるように、1店1店が趣の異なる個性的な店づくりを行ってきました。近年はゆったりと食事を楽しむレストランの他にカジュアルスタイルのフードコートも展開しています。
株式会社 南国酒家
中国料理専門店、結婚式場・宴会場の運営、FC事業の展開、点心工場の運営
株式会社 宮田商事
中華食品の製造・販売、飲食の経営指導、不動産の賃貸
株式会社 南友商事
中国料理店経営、不動産の賃貸
株式会社 宮田エステート
給食事業の展開(山王クリニック)、不動産の賃貸
路面・ホテル系
接待・宴会・婚礼・法事など、お客様のニーズに合わせて対応することが可能な店舗。
デパート系
8~9割のお客様が女性のため、女性向けメニューが豊富。
交通機関系、SC・フードコート系店舗
ビジネスマン・OL層が主流。SCは夜になると接待や家族連れなど
多岐にわたりお客様がみえる。
各店舗一覧